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石巻の栄枯

芭蕉が日和山から見降ろし「…数百の回船入り江につどい…かまどの煙立ち続けたり…」と奥の細道にしるしたのが元禄期。川村孫兵衛の石巻開港(寛永期)から約60年がたち、江戸回米で栄えた石巻最盛期の風景です。これが第一次の黄金時代か。
第二次は明治です。孫兵衛から数えて250年後。明治11年の東松島・野蒜築港が始まり。北上運河掘削も行われました。築港第一期が完成(同13年)。地元、浜市には警察、測候所が置かれました。ただ、築港で働いた若者たちは運河で石巻に出たそうですが。

そのころ三菱汽船が荻浜に支店を開設(同14年)、寄港する貨客船の積み荷をダルマ船が石巻まで運んだ。第一銀行支店、三井組を通じた豪商戸塚貞輔の活躍、内海橋開通、七七銀行支店などのエポックが続いたのです。ちなみに、第一銀行員の二男として志賀直哉が誕生しています。

石巻はまだ米の港です。人口は2万。米穀商が31店あったそうです。岩手県に至る北上川沿いから集まった米が、ダルマ船で荻浜へ、そこから東京まで積み出されました。東京からは呉服反物、瀬戸物、西洋小間物などを運び、石巻から川を登って行ったほか、陸路も牛車、馬車、大八車で仙台、白石方面まで散ったのです。江戸時代と構図は同じです。

好事魔多し、明治17年、築港第二期計画が中止されます。完成した堤防が台風で破壊、国が手を引いたのです。とどめが同24年、東北本線青森までの全通でした。物流は完全に鉄路に移り荻浜は一気に衰退、第一銀行も撤退(同25年)します。荻浜からの貨客船航路は大正6年、完全に廃止されました。石巻は沈滞ムードの中、大正を過ごし、迎えた昭和もパルプ工場誘致があったものの、第三次の黄金期は戦後を待たなければなりません。

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