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続・まちあるき帖 女川地峡

見慣れた「いしのまき」5万分の1の地図(国土地理院)を開くたび、気になるのが万石浦と女川港間のくびれです。定規を当てるとその距離1.5㌔余り。ここに運河を通したら金華山沖を行く船はどんなに時間、燃費を稼げるやらなどと想像したりして…。

ちなみにこのくびれ区間の最高標高は14Mですが、今回の津波では女川、万石浦双方から流れ込んだ波がここも洗いました。

いわゆる地勢学的に言うと「地峡」です。「女川地峡」と呼ぶそうです。正式名称かどうか分かりません。太古の地殻変動で牡鹿半島数か所に大断層が発生、その一つが万石浦のくぼ地を作ったのだそうです。上品山から石投山、黒森、大六天と続いていた牡鹿の山並みが断絶してしまいました。凹地に海が入り込んで万石浦になったというわけです。

その凹地(湾)の湾口は石巻大門崎と佐須の地先尾崎を結ぶ線だったそうです。そこから続く北岸は鹿妻、根岸、澤田、浦宿の線、南岸は祝田、唐松、針浜から浦宿です。湾口から奥に袋状になるリアス式の湾ができました。

時を経て、この湾口部の西側から北上川が運ぶ砂泥によって埋まりだしました。これが長浜から山根までの沖積地ができました。一番最後に(と言っても何万年前ですが)約200㍍の水路を残して砂州が形作られたのです。それが現在の渡波市街地。万石浦は海跡湖となりました。今は、適度な水深、海草もよく育ち、カキ養殖のメッカとなり、タコ、カレイなど小魚たちの揺籃場になっています。埋め立てて万石の米を採るか、現在のままか、運河を通すか。考えるまでもないですか─

でも、万石浦の有用性をつぶしてまで運河を掘るメリットを考えなければ…

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