カテゴリー:私たちのこと

ラッコ船

石巻のラッコ猟船

明治の一時期(34~43年)ですが石巻の「ラッコ船」が一世を風靡しました。もちろん目的はその毛皮。柴山英三という人が船主で「ラッコ王」と呼ばれました。当コーナーで紹介した「鉄道馬車」を企図した人でもあります。

当時、一足早く米、英、露の船が北洋から金華山沖まで進出していました。これをみて明治政府も狩猟を奨励。その生息地の千島、アリューシャン、ベーリング海に出猟したのです。毛皮は上質とあって今の価値に換算すると一枚60万円前後で取引されたとのことです。小樽が取引港でした。猟期は3月から9月。柴山氏はラッコ船(二本マストのスクーナー型)4隻を所有。ライフル銃で捕獲しました。この商売を最初に始めた日本人は高田屋嘉兵衛だそうです。

乱獲がたたり同44年国際保護条約の下、禁漁になりました。出猟船には「減船補償」がおりて、これが政府による「補償」の第1号と言われています。鯨のときはどうだったのでしょうか。このお金が「鉄道馬車」の資金になったの? と柴山さんに聞いてみたいところです。

北上川岸に係留中のラッコ船(柴山氏縁者所有の写真帳から)

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