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方角石

なぜ無い、方角石

日和山といえば「方角石」。史家の常識です。全国には日和山(丘)が80か所余あるそうで江戸時代、千石船が出入りした港の近くに必ずある山です。「方角石」は山の海を見渡せる場所にあり東西南北を指し示します。今、残るところは30カ所だそうです。

ある研究者が調査に石巻・日和山を訪れました。同行者の「見たことがある」との発言に山を探し、文献も調べたそうですが見つけかねました。そして結論は「石巻にははじめからなかった」ということに。

千石船による江戸回米の積出港なのに、なぜ無いのか。まず考えられるのは、河口港の弱点(川口が砂の堆積で浅くなる)「米を積んで喫水を下げた千石船は浅瀬に船底が引っ掛かり出られなかったこと。その実、積み荷の米は沖で待つ千石船に小舟で運んだのでは…」という人がいる。当時の絵図に描かれている川に舫う千石船についても「あれは満潮時を利用して入ってきた空船。それも二丁櫓、三丁櫓による小舟に引っ張られて川口を入ってきた」とも。

さらに絵図に描かれている山頂の「吹き流し」についても「潮見柱または潮時柱というもので‶今満潮、入出港OK″とのサインだった」とか。荷積みのため川の空船があらためて沖に出ることを促してもいると言うのです。

なるほど、船には簡単な羅針盤を備えていたことでもあり、日和山で方角を知る必要はなかった、岸壁などなかった当時、いわゆる「はしけ」によるコメの沖積みは当たり前だった気もしてくる。ともかく海の色、雲の流れを見て天気を予想するだけでよかった港が石巻であり、日和山だったのかも…。

これが現代の方角石!?

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