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石井閘門

今は昔の大動脈「石井閘門」

北上川と北上運河との水位差(運河が北上川より50㌢低い)を調整する役目を担う「石井閘門」(国の重文・平成14年指定)。川から運河、運河から川に航行する船が門内に入り水位の平準化を待つ施設です。そこの水が先ごろ抜かれ水底に隠れていた明治の「赤レンガ」「敷石」が顔を出しました。

ただ、これが大活躍したのは大正期まで。小蒸気船、平田船など小型船が往来しました。今も現役は現役ですが開門するのはほんの時折。それでも貴重な施設だけに震災前から見直しが行われてライトアップや各種の催しを運河で行い存在をアピール中でした。

往時、遠くは盛岡、花巻、志津川、吉浜などから運ばれ通過した物資は米、材木、薪、炭、魚かす、繭など。蒲生、塩釜方面に運ばれていった一方、南からは米、塩、砂糖、材木、石油、瀬戸物、マッチ、レール、セメントなど。旅芸人という記録も残っています。

洪水のたび底が浅くなったりして航行に支障がで、鉄道、自動車の普及もあってさびれました。運河最後の華が戦時中、矢本飛行場の建設資材運搬だったそうです。

この運河は北上川と阿武隈川を結ぶ水路でもあります。全長49㌔、日本一です。松島湾を挟んで北側が北上運河、東名運河。ともに野蒜築港(明治11年着工、同17年の台風でとん挫)工事を機に開削されました。南側は御舟入堀、新堀、木曳堀と順に結ばれ阿武隈川につながります。そもそもこの運河は伊達正宗(貞山公)の命令で開削されたということで南側の3運河を総称して「貞山運河」と呼ばれています。

明治の昔にタイムスリップした石井閘門の水抜き

「運河の松並木」は国道45号を行くドライバーにはいっぷくの清涼剤

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