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吉田松陰

松陰1泊邸、今は映画館

幕末、思想家、旅行家でもあった吉田松陰が石巻に来ています。目的は私的な国情調査だったらしいです。23歳、嘉永5年(1852年)の春でした。一泊しただけですが、日和山に案内されて見た町の印象を「東北遊日記」に残しています。

人家の多さを書き、仙台米の積み出し量を調べ、北上川河口の浅さを陳べ「道路は四通八達し、旁径多岐なり」と言っています。妓楼があることも忘れずに書き(ちなみに、自身は関係なかったようです。というのも30歳で刑死するまで童貞だったとのこと)、さらに仙台藩の貨幣鋳造の拙さを指摘しました。

一泊したところは現在の中央一丁目、映画館「日活パール」付近にあった屋敷・仙台藩士粟野杢右衛門邸です。ここにいた彼の親友那珂通高と会いました。邸内には合歓園と呼ばれた庭もあったということですが今は、邸、庭ともその痕跡さえありません。映画館裏口にひっそりと説明板が立つのみです。

世を経て映画館は日活アクションものの殿堂で付近は若者のメッカだった

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