カテゴリー:私たちのこと

裏町、裏町裏

‶西に延びる街″

昭和6年発行「石巻港明細図」という古地図から─。当然、昭和41年から採用されたという新町名ではない旧町名が載っています。現在の「アイトピア」が「裏町」、寿町通りは「裏町裏」とあります。川沿いの「仲町」は今と同じ「仲町」。

「裏町」とは「仲町」に対する裏で、その「裏町」のさらに裏だから「裏町裏」といったのです。つまり北上川岸の「仲町」が中心地だったということです。江戸の昔、舟運で栄えた石巻であればあたりまえでしょう。「仲町」から南に続く「旧本町」もそうで昭和までこの一帯が経済活動の中心でした。地図を子細に見れば分かります。銀行があります。警察があります。郵便局も。船会社、旅館、電灯会社、電話会社、新聞社もあります。居並ぶ大店(商店)の間に医院が結構、目立ちます。昭和30年代まで面影がありました。

その一方で地図は「裏町」「裏町裏」に張り付く商店群を記しています。これはこのころ既に石巻地方内陸部まで広がった商圏の受け皿として、その巨大な購買力をこの‶仲・裏・裏裏″3地区で支えていたということです。ある商店主の言う‶石巻の商店街は川から西に発展した″との端緒がここにあります。

この震災・津波被災があらためて‶西に延びる街″を顕著にしました。その分、旧裏町、旧裏町裏(立町を含むいわゆる中心商店街)は置き去りにされ、衰退ぶりを現実のものとなりました。どんな形で復興するのでしょう。もはや中心商店街ではないことは確かです。

【写説】 石巻の近代がはじまった仲町と旧本町地区が再度、どう生まれ変わるのか興味の焦点

「仲町」から南に続く「旧本町」の通り

川沿いにある「仲町」の通り

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